アナルコ・キャピタリズム研究(仮)
MiniBlog 060311-060406


06/04/06 日銀は株式会社である。資本金1億円で55%の株を政府が保有している。 だが正確には株式会社ではない。 日本銀行は「認可法人」であり、その株式は「出資証券」であり、 配当は上限がありかつ財務大臣の認可が必要であり、 株主総会はなく株主は議決権をもたない。 (取締役を解任するなど経営に関与できない)。

日銀は政府機関ではない。だがその最高意思決定機関である政策委員会の メンバー(総裁1・副総裁2・審議委員6)は内閣が任命する。また5000人の職員は「みなし公務員」である。実質的に日銀は政府機関である。

1872年から1874年にかけて「国立銀行条例」に基づき4つの国立銀行が設立された。 日本最初の株式会社である第一国立銀行(→第一勧業銀行→みずほ銀行)、第二国立銀行(→横浜銀行)、第四国立銀行(→第四銀行)、第五国立銀行(三井銀行→三井住友銀行)。 これらの「国立銀行」は、厳しい資本金の条件をクリアし、銀行券発行の特権を与えられた民間銀行であった。

1871年の「新貨条例」(円導入)は金本位制(兌換:金1.5g=1円)で、金(ゴールド)をたくさんもつお金持ち=大資本しか銀行を作れなかった。 しかし1876年、国立銀行条例が改正され、不換紙幣(ゴールドと交換できない紙幣)の発行が事実上認められるようになる。資本金は政府紙幣でも金禄公債でもよくなり、発行限度額も資本金の80%に引き上げられた。(1872年から1877年までは一方で政府紙幣=不換紙幣が大量発行されていた。金禄公債とは当時華族・士族の秩禄全廃と引き換えにやはり大量発行されていた公債。)これにより1879年までに153もの国立銀行が設立された。

(1876年の条例の改正は、国立銀行が一向に増えないことや金価格高騰による国立銀行の経営難などが理由らしい。またこんなに銀行の数が増えても1877年の西南戦争勃発まではインフレにならなかったそうである。だがこのへんはどうも全部あやしい。)

1879年、「日本銀行条例」に基づき銀行券発行の「独占権」をもつ日本銀行が設立され、 それまでの国立銀行の多くは普通銀行になった。 (当時インフレはピークに達していたが、この一連の政策により一転深刻な松方デフレが起きたとされる。) 1897年ふたたび金本位制に戻るが、第2次大戦中に兌換停止(不換紙幣化)、戦後ハイパーインフレとなる。

「お金は汚い」とアナルコ・キャピタリストが思うとしたら、 それはお金が政府によって作られた独占であり、 またそれが政府に規制された民間の独占というよりも実質政府による独占(=中央銀行制度)だからである。 福沢諭吉らは実質政府紙幣という点で悪である。 ロスバードの書いた大きな小さい本 What Has Government Done to Our Money?ネットでも読める


06/04/02 昨日からの続き。

PB:地方自治体レベルでの政府の行動についてはどうお考えですか?
MF:価値の多様性を認め選択の多様性がある社会こそ望ましい。 政府の単位が小さくなるほどその理想に近づく。 町の間では住民サービスの競争がある。連邦政府や州政府は厳しく制限すべきだが、 それより小さいレベルではそこまで厳しくしなくていい。

PB:ではあなたは無政府主義者ではないのですね?
MF:違います。でも方向としてはそちらに進むべきだと思うので彼らの幸運を祈ります。政府はゲームの審判として必要だと思います。(カルテルより強い独占形態である)トラストの摘発をしたり、契約の履行と損害賠償を命じる裁判所などです。 市民の安全を守ったり、警察による保護も政府の仕事です。 もっとも他の部分に力をとられていて、それら本来やるべきことはうまくいってないと 思いますが。

PB:最後になりましたが希望はおもちですか?
MF:何年か前にガルブレイスが言っていました。 ニューヨークにどこも悪いところはない。予算を2倍にすれば問題は解決する。 現実に予算は2倍になりましたが、状況は彼の発言当時より悪化しています。 サイズとは無関係に、政府とは非効率なものなのです。 今でも自由に背を向ける思想的風潮が続いていますが、 彼らがあらゆる形態の集団主義を拒否することを私は願っています。 安心は政府から得られるものではありませんし、得られたとしても個人の自由を犠牲にしてまで得るほど価値のあるものではありません。

(終わり)


06/04/01 一昨日からの続き。

PB:それでも資本主義の不正義について言う人たちは少なくないですよね?
MF:彼らが不満を抱いていることの多くは市場が作り出したものではなく、 政府の政策の結果だ。

PB:労働市場における黒人差別については政府が介入すべきでないですか?
MF:差別には反対だ。だがアメリカの黒人はソ連の平均より経済的に恵まれていることを忘れてはならない。19世紀、それまで迫害を受けていたユダヤ人たちは資本主義に反対し、これがロシア革命の原動力となった。しかしこのユダヤ人の行動は間違っていた。ソ連は今最も反ユダヤ政策をとっている国だ。集団主義社会では支配者の好みや偏見が大きな意味をもってくる。 またそのような社会ではいつも攻撃の対象が必要で、ユダヤ人や黒人がスケープゴートになる。 現在でもユダヤ人は他のどの民族より資本主義を攻撃しているが、 さっぱり理解できない。資本主義から最も恩恵を受けているのは彼らなのに。 けっきょく自由市場のもとでは偏見をもつ人はその代償を払わなければならないのだ。 競争に生き残るのは人種差別をせず、生産性の高い労働者を安く雇う企業だ。 また自由競争に反対する労働組合も差別の原因になる。

PB:アメリカで最も黒人が差別されているのは教育ですね?
MF:学校が公教育だからだ。政治的状況、つまり51%の多数派の要望が49%の少数派に押し付けられる状況では少数派の利益は守られない。 その点市場では少数派の利益が守られる。 51%の多数派が国産車を望んでも、49%の少数派は外国車に乗ることができる(関税さえなければ)。 教育クーポン制度によって私学が発達すれば、スラム街の黒人もいい学校に入れるだろう。 (教育クーポンとは学費として使える券のこと。政府が現在の教育費をすべてクーポンに変えて国民に公平に支給する。国民はクーポンを使って行きたい学校に行ける。これによって学校間の競争が生まれる。実質総私学化・学区完全廃止・最低学費補助政策。)

(続く)


06/03/30 昨日からの続き。

PB:あなたの税制や福祉についてのご提案は今後一般に受け入れられるでしょうか?
MF:希望はもてる。ただ本当の問題は、考えが受け入れられたとしても、実際人はその既得権を手放そうとはしないだろうということだ。 この解決のためには個々のケースを一つずつ検討するというのはだめで、全部を一挙に廃止するしかない。

PB:資本主義は物欲の上に立つから公正で秩序ある社会を導かないと言う人もいますが?
MF:そもそも物欲の上に立たない社会などありえない。 人々は物欲であれ精神的なものであれ自分の利益を追求すると信じて間違いない。 ナイチンゲールやロックフェラーは利己心からあれだけのことをした。 問題はこの利己心の制御の仕方だ。 資本主義のもとでは一人の人間がもてる権力は限られていて、どんな金持ちでもそれはソ連の権力者や政府の役人とは比べものにならないほど小さい。 人間は欲張りだから、個人の力によって他人が大被害を受けないような、権力の分散された社会がいいのだ。

PB:資本主義は選択の幅が大きすぎて無駄が多いと言う人もいますが?
MF:選択の幅が大きいのはそれだけ消費者の望みが多様で、かつそれらが叶えられているということ。経済競争を批判する作家や科学者は、もし言論・創作・研究活動が無駄な競争だとされたらどう思うだろう。政府がテーマごとにすべて活動する人間を決めるなど考えたくもないはずだ。

PB:資本主義社会では非物質的なもの・精神的なものが失われませんか?
MF:文学・美術・建築・科学、どれをとっても最大の成果は個人が産み出したものだ。フランク・ロイド・ライトが建てた住宅とソ連が建てた住宅はどちらが偉大ですか。 エジソンは政府の5ヵ年計画のもと大発明をしましたか。 非物質的なものをとことん追求する人間など社会のほんの一握りしかいない。 だからこそ自由に活動をさせないと精神的なものは盛んにならない。 集団主義社会・完全民主主義社会・独裁社会のもとで一個人が絶滅寸前の動物を保護しようとしても無理だろうが、資本主義社会のもとでは一人の奇特な大金持ちを見つければいい。

(続く)


06/03/29 昨日からの続き。

PB:社会保障制度を廃止するのはできたとしても犠牲が大きすぎませんか?
MF:今廃止しないとそれこそ大きな犠牲になる。 いったんした約束を反故にするのは難しいが、不可能ではない。 制度が肥大化するのは利権集団が関わっているから。 貧困対策の声を上げるのは貧困者でなく彼らだ。

PB:保険料や医療費さえ払えない貧しい人もいますよね?
MF:私はあらゆる慈善活動を奨励している。現在の国家による福祉制度はそういう貧しい人たちに対する援助の義務感を人々からなくしてしまっている。

PB:福祉の問題はあなたの提案する負の所得税によって解決しますか?
MF:それ以外ないと思っている。 現在の制度は、不安定な低収入の仕事を探すより生活保護を選んだり、 南部から生活保護を受けるためだけにニューヨークに来たり、 片方の親に収入があるのに見せかけの離婚をして片方が生活保護を受けたり といったインセンティブを与える。 そして最も惨めなのは生活保護から抜け出せない層だ。 彼らは政府の役人に生活を制限され、また自由を侵害されている。 負の所得税は彼らの自立を支援する。(負の所得税とは、たとえば所得ゼロの人に2000ドルを保証し、所得が4000ドルを越すまでは1ドルの所得増につき50セント所得が増加するような税制。)

(続く)


06/03/28 昨日からの続き。

PB:公害や汚染の問題にも政府は立ち入るべきでないですか?
MF:適切な量の汚染というのがある。割に合う範囲で汚染すべきだ。 だが汚染しているのは誰か突き止め、責任を問うのは市場では難しい。 そこで政府の介入が必要になるが、排出基準を定めるという方法よりは排出税のほうが望ましい。ただいずれの場合でも、費用増によって倒産する生産者も出てくるのは当然だし、消費者も価格を通して費用を分担する。価格がそのままで公害がなくなるというのは夢想にすぎない。

PB:環境問題は税金ですべて解決しますか?
MF:完全な解決などない。軽減するのが精一杯で、税金がベストというだけ。 だが市場がまったく無力ということではない。たとえば製鉄の町の汚染がひどかったら、 製鉄会社は労働者の確保が難しくなる。そこで自ら改善するインセンティブがある。

PB:企業は社会的責任感から環境汚染をなくすべきではないですか?
MF:私だったらそんな会社の株は買わないね。 経営者が社会的責任感から賃金を切り下げ、生産物を値上げし、株式の配当を下げるべきだろうか。

PB:公的年金にも反対されますか?
MF:それは老後の生活を政府が強制的に買わせるものだ。生き方や老後の設計の仕方は人それぞれだよ。

(続く)


06/03/27 昨日からの続き。

PB:それでもテレビ(電波)については政府が規制すべきでしょう?
MF:FCC(連邦通信委員会)は大ネットワークを競争から守るだけの存在だ。

PB:政府による商取引の規制はすべてだめと言うのですか?
MF:公共の利益のためということで正当化される政府の市場介入は すべて公共の利益を損なっている。 今あるエレクトロニクスの進歩は政府の介入のおかげだろうか? いや民間企業の競争の結果に違いない。 資本主義社会では消費者が搾取されているとか言うラルフ・ネーダーなどの一味に 対しては、高級オーディオの前でくつろぐことがその雄弁な反論になる。

PB:民間の独占企業は解体あるいは規制すべきですか?
MF:すべてのものに代替品があるから純粋な独占など存在しない。 同時に完全競争というものも存在しない。 現実の経済は不完全だがそれを政府がさらに不完全にしているのが問題だ。 政府による独占が悪いのは郵便ひとつ見るだけで十分。政府に規制された民間の独占は ICCで見た通り。そこでは自由な万人の協力体制が、誰も得しない政治体制に移行してしまっている。独占の中では規制されない民間の独占がベストだ。

(続く)


06/03/26 昨日からの続き。

PB:政府には消費者保護の責任があると言う人もいますが?
MF:もっともよく消費者を保護してくれるのは政府でなく市場だ。 人は腐った肉を売る店では買わずに他の店で買う。

PB:欠陥商品によるケガや損害などについてはどうですか?
MF:そういうときのために裁判所がある。 政府の規制・監視機関があるとややこしくなる。 彼らがある商品の欠陥を見落としたとしても、 あなたは政府より直接企業を訴えたいと思うだろう。

PB:では危険な商品による事故を未然に防ごうとしないのですか?
MF:そのための最も効果的な圧力は市場にある。 危険な商品を売れば告訴されたりして儲けが減る。 場合によっては倒産の恐れすらある。

PB:企業の利益追求から消費者を守るための規制はいつもうまくいかないのですか?
MF:独占的な鉄道から消費者を守るために置かれたのがICCだ。 これができる前から鉄道業界はカルテルを作ろうとしていたが、 ICCによりそれが容易になり結局鉄道運賃は上がった。 ICC以前はカルテルを作ろうとしても作れず価格競争があったのだ。 ICCはその後、消費者を悪質なトラックから守るためにその業界を管轄下においたけど、 それが消費者でなく鉄道業界を保護するためであったのは明らかだ。 ICCと同じことがCAB(民間航空委員会)についても言えるよ。

(続く)


06/03/25 プレイボーイ1973年2月号に掲載されたミルトン・フリードマンの インタビューを『政府からの自由』の中で見つけた。 これが非常によいので短くまとめたもの以下に記しておく。

PB:経済学者ってみんな言うことばらばらですよね?
MF:いやほとんどの場合一致してるよ。異なるときしか話題にならないから そう思うだけ。

PB:価格統制はなぜだめなのですか?
MF:そもそもの話、抜け道がいくらでもあるから実効性がない。戦時中でさえそれは不人気で闇市があった。

PB:インフレの原因は?
MF:ワシントンでテーブルを囲んでいる19人の男たちだよ。 いくら有能でもこんな少人数にとんでもない権限を与えるのはおかしい。

PB:企業はいつも自由に活動させるのがいいと?
MF:政府による解決はたいていうまくいかない。最低賃金法がいい例で、 これはぜんぜん貧しい人のためになってない。これに賛成してるのは低賃金(=低コスト)の企業があると困る高賃金(=高コスト)の企業だけ。低技能の人を雇うのを禁止し、失業率を上げるのが最低賃金法だ。

PB:でも貧しい人のためになる政府の政策もあるでしょう?
MF:そんなものはまずない。弱者を助けるという政策はほとんどの場合貧しい人をより貧しくしている。これは事実を調べてみればわかる。 高等教育機関への補助金(学費補助でもある)などにいたっては下流層から中流・上流層への再分配だ。

(続く)


06/03/11 ある有名美少女アイドルが出演するショートムービーを見た。 監督は『世にも奇妙な物語』などで知られる人で、 短時間の中にぎゅっと予測不可能性が詰め込まれたよい作品である。 総務省がわれわれから強制的に奪った金で大手広告代理店から購入し、 欲しいと思わない人にまで提供しているこの映画はネットで無料公開されている。

見てもわかる通り、これは「反」リバタリアンファンタジーである。 だが『空気』と題されたこの作品はいいポイントをつかんでいる。 公共財理論の誤り――民主主義という失敗にも書いているが、個人がよい政治家に投票することは公共財である(正の外部性をもつ)。(「選挙に行こう」と周りに呼びかける人はよく「もしみんなが行かなかったら」 という。だが投票率が下がれば下がるほど一票のもつ力は大きくなるので、この仮定は起こらない。一方、彼の期待通りに投票率が上がると一票の力は小さくなる。 現実には最初に主人公が正しく思っていた通り、個人の一票は何の影響力ももたない。) 選挙に行ってコストに見合ったものを得るのは難しい。 まつりごとを祭り事としてよっぽど楽しめる人でなければ、 貴重な時間を割いて投票所に足を運ぼうとは思わないだろう。

選挙に行くことは空気を汚さないことと同じなのだ。 この民主主義と環境主義の映画に『空気』というタイトルは最高である。 だが民主主義者と環境主義者は現代リバタリアンの2大敵だ。 この映画ではそれらが完全に同一になるケースが描かれている。 投票行動を強いて他人に他の有意義な行為を断念させようする。 この作品の主張あるいは総務省の代弁者である看護婦はまさにファシストに見える。 完全な反リバタリアン映画は普通のリバタリアン映画より愉快である。

選挙には行くべきでない。 政治が大きくなればなるほどこの映画に出てきたようなカオスになる。 政府が出てくれば出てくるほど人は不慮の事故に注意しなくなる。 ぜん息を患う子供のためにきれいな空気が欲しいなら、その徹底したプライベート化 を考えるべきである。

あとわれわれは政府が税金をとることにいつでも反対すべきである。 その人のお金は政府ではなくその人が使うべきだ。 同時にこの美少女アイドルと有能映画監督がもつ希少資源 ――正常なリバタリアンなら耳をふさぎたくなるような内容で リバタリアンを楽しませてくれる――はもっと他のことに配分されるべきである。


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