アナルコ・キャピタリズム研究(仮)
MiniBlog 060201-060215


06/02/15 アナルコ・キャピタリズムのいろんな言い方

  • Market anarchism
  • Individualist anarchism
  • Free-market anarchism
  • Propertarian anarchism (私有財産権擁護
  • Rational anarchism
  • Economic government
  • Contractarianism (Jan Narveson など。 "On the Moral Justification of Capitalism"
  • Voluntarism
  • Pure capitalism
  • Ordered anarchism
  • Private-property anarchism
  • Autogovernment
  • Private law society
  • Radical libertarianism
  • Radical capitalism
  • Anarcho-liberalism
  • The natural order


    06/02/13 ちょっとリバタリアンな映画を2つ。

    エネミー・オブ・アメリカ。 政府による監視vs個人のプライバシー。 帰結主義リバタリアンからするとプライバシーの侵害うんぬんより、 馬鹿げたNSAによるめちゃめちゃな税金の使われ方が警告的。

    グラディエーター。 ローマ帝国を追放された元将軍によるクーデター。 全体を見ると共和主義の話だが、中心は妻子を殺された個人の復讐劇で、 家族は国家より大事なんだというメッセージを受けとれる。

    どちらも国家をテーマとして1億ドル程度の費用で作られた大作ポリティカル映画。 (日本ではぜったい生産されない。)ちなみに2監督は兄弟。


    06/02/11 先ごろ地方分権の思考実験について大ざっぱに書いたが、 これをさらに詳細に考えるにはL@Jの所有権ガバナンスに関するエントリーが参考になる。

    要点は

  • 個人の所有権≒財産権はインセンティブと極めて密接な関係にある
  • いくら細かく分けたところで政府は企業のようには運営されない
    ということだ。

    地方政府を株式会社化することを考えよう。 各都道府県株式会社は、個人の生命・財産を保護するための財・サービスを売ることを主な目的として 市場で競争する。 利益を上げるためにはよい法律と警察(と軍隊)を効率的に生産して 消費者を集めなければならない。 また株主は自分の所有するもの(形式上は株券)のためにそうするよう経営陣に圧力をかける。 (都道府県株式会社は無政府資本主義でいうところのエージェンシーであり、 このような社会は無政府資本主義社会のひとつのイメージになる。)

    政府の場合、議会が期待通りに省庁に圧力をかけることはない。 少数に有利な法律だけが生産され、各省庁は予算の確保だけを考える。 すべての参加者に不正なインセンティブがある。

    おおまかにいえば

  • 企業=株式を通して個人に所有される。参加者に正しいインセンティブだけがある(効率的)
  • 政府=定義上誰にも所有されない。参加者に不正なインセンティブだけがある(非効率的)
    ということである。企業(資本主義)は政府(民主主義)より優れている。

    (補足: 究極の地方分権、つまり国民一人一人にまで分権すれば それは完全個人主義・無政府資本主義になり理想的である。 また天皇制無政府資本主義は十分可能である。 この場合皇室は独立採算であり、元の資産の利子と個人や企業からの寄付で成り立つが、 政府がある場合のように不安定で利用される立場にはならないだろう。)


    06/02/09 『入門経済学―グラフ・数式のない教科書』。 大書店の棚に並ぶ無数の経済学入門書のなかで、どこにでもありそうなタイトル。 気づくはずがない。ちょうど3年前に出版されたこの本の存在を管理人は今日初めて知った。

    これはある有名なリバタリアンが書いた教科書の翻訳である。 (この人はシカゴ学派でもあるのだが、管理人はこれまで著作を読む機会はなかった。) ざっと見たところ、リバタリアン度はミルトン・フリードマンよりはるか上、政府には財産権を保護する法と国防ぐらいしか認めていない最小国家論者である。 日本に現在ある経済学の教科書では最もリバタリアンなはずだ。(ただ外部性への介入は正当化していた。コースなどへの言及もないところを見るとちょっと古いのかもしれない。)

    文字通りグラフ・数式を使っていない。 細かい価格論は抜きにマクロや国際経済論までカバー。 (必然的に公共政策論に偏っているが。) 歴史と頻繁に絡めているのもユニーク。 (10世紀頃の日本では中国の通貨が好まれたなど。著書に『征服と文化の世界史』という歴史書もあるぐらいの人だ。) 私立文系でぜひ使うべきだとおもった。


    06/02/08 差別について書いた06/02/01の最後の部分がわかりにくかったかもしれないので少し具体的に説明。

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    ○○差別・嫌○・反○といった、ある種の人々への偏見や差別意識というのはたいてい相手をよく知らない、個人の見分けがつかないという情報の非対称性から生まれる。情報の非対称性が相互の利益機会を消滅させるので、この点で介入したくなるかもしれないが、相互の利益機会がある限り人々はそれを追求するものであり、問題は勝手に解決されるのである。

    (大事なのは個人個人のつながりである。情報を入手するコストが高いときは、ある種の人々をステレオタイプでまとめて扱いがちであるが、個人がまったく見えなくなっては損失を出すばかりだろう。)
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    たとえば雇用機会における女性差別を考える。 ある職業では慣習として女性を雇わないとしよう。 (昔の電車・バスの運転士など。平均的に空間把握力で劣るからなどの理由で。) だが中にはその適性に優れた女性もいる。 相互に利益のある交換が発生しないのは問題だとして ちょっと経済学に理解のある官僚が乗り出す。 企業に最低5%の女性枠を設けるよう指導する。 しかしこれはまずい。 たぶんその女性枠によって差別意識が強化される。 そして内部で不当な扱いを受ける。 この損失により全体として問題が改善されたかはあやしくなる。

    はじめそういう慣習があったとしても 雇用者と被雇用者はやがて自然につながる機会を見つける。 こう言い切れるのは「そこに利益があるから」である。 一般に有能なタイプを見分けられる企業、 また需要があるものを見つけ出しそれを消費者とマッチさせることのできる 企業は市場で利益を上げられる。

    情報の非対称性はたしかに外部性と同じくやっかいなものである。 これらの点で市場はたまに失敗する。 だが市場は自力で改善していく性質がある。 市場の失敗は問題ではなく、それを無理に是正しようとする政府の失敗だけが問題である。(情報の非対称性から政府の介入を正当化するゲーム理論を使った攻撃には、 やはりゲーム理論を使って私的メカニズムの優位性を示すことで防御できる。) 政府が何もしなくても女性運転士は市場が求める程度にまで増えるのであり、 ただそれだけが望ましい。

    性差別・外国人差別・嫌韓・嫌中・反日・反米・反ユダヤ、国家が介入してこなければ何でもありである。放っておけば利益を求める個人個人によって彼らは自然に仲良くなっていく。一部に残ったとしてもそれは好みなのであり、効率的なので問題ない。


    06/02/05 (06/02/03への補足)

    仮に自衛隊(中央政府)が最初に制限された状態にとどまっていたとしても、 地方政府間で期待通りに税の競争が起こらないだろうという理由を 少し詳しく述べておくことにする。

    ひとつは繰り返し囚人のジレンマである。 山梨県知事と静岡県知事が料亭で話している。 「おたくのところ最近税金下げすぎじゃないかね」 「いえいえそちらこそ」。二人は結託する。

    47という全体のプレーヤー数はけっして多くないし、 ある地方政府にとってより重要なライバルになるのは近隣の地方政府だろうから、 実際各プレーヤーが意識する相手というのはそれぞれ限られた数になるだろう。 また隣り合う地方政府間では、自政府の行動に関する情報は隠しておきにくいし、すぐに相手に知れてしまうはずである。 (そもそも減税にせよ規制緩和にせよ、政府の行動はその定義・性質上たいていパブリックなものであるはずなので、各プレーヤーの行動はつつぬけて当然である。) また政府は市場の個人や企業ほど近視眼的ではない。相手の政府が突然消えたりすることはまずないだろうし、ゲームの継続率は1に近い。

    このように「少数プレーヤー」「完全モニタリング」「多数ラウンド」「低割引率」 といった繰り返し囚人のジレンマで協調が発生する要件がことごとくそろっている。 つまりカルテルは成功しやすい。

    もうひとつはロックイン効果である。 京都に初めて行く人は、まず巨大で未来的な京都駅に驚き、 そのあと想像に反して近代的な街並みを見ながら有名なお寺などを回るだろうが、 それらを除いて町を眺めるととても山紫水明に恵まれた土地であることに気づくはずである。そしてなるほど、どうりでここに平安京が建設されたんだなとおもう。 京都人はなかなか京都を離れようとは思わないだろう。

    同じことが47の都道府県にあてはまる。 言語という重要なロックインはないにしても、 土地固有の資源に起因する郷土への愛着心がそうとう移動のコストを高める。


    06/02/04 (06/02/03からの続き)

    地方分権の最初の仮定を変えて、自衛隊を各地方自治体に人口で比例配分して始めるとする。天皇家は千代田区に居住するただの一家族になる。 しかしこれでも47の都道府県からなる安定したリバタリアン社会を想像するのは難しい。

    いきなり近代兵器で戦う戦国時代になるだけかもしれないし、 あるいは周辺諸国とアメリカを巻き込んだ世界大戦が始まるだけかもしれない。 共産党の強い京都などはさっそく共産主義国家になる可能性があるし、 そのときはその豊富な観光資源と多くの先進的な企業は国有化され、 やがては衰退して崩壊するだろう。(もっとも京都には御所がある。昔の天皇の末裔を新天皇として擁立したりして、最初は手ごわい国家になるかもしれない。)

    けっきょく、国防機能+αだけを残したほぼ完全な地方分権国家にしても、 多くの小国からなる極東の島にしても、行き着くところは現在あるような中央集権国家かもしれないということである。(もちろん自衛隊や各地方政府が条約を結んで平和な日本が形成されるという可能性もある。)

    地方分権はアナルコ・キャピタリストを含むすべてのリバタリアンにとって よい思考実験であり、とても議論の余地がある。 地方分権の最初の仮定をさらに変えることで、今よりずっとリバタリアンな日本を 確実で安定な均衡として予想することは可能かもしれない。

    なお多数の中央集権国家からなる社会は無政府資本主義社会ではない。 管理人のイメージする無政府資本主義社会は政府と領土で分割された社会ではなく、 (内部に収奪システムをもたない)エージェンシーで分割された社会である。 アナロジー的にはプロバイダーで分割されたインターネットがそれに近い。

    どんなに分散化されていても政府は政府である。それは合法化された強制力をもつ泥棒であり、匿名の収奪システムでしかない。やはり無政府資本主義だけが正しいのである。


    06/02/03 (06/02/02からの続き)

    徴税権その他の権力を完全に地方政府に移譲すると、 めちゃくちゃな課税や規制をする所からは人々が逃げていくはずなので、 地方政府間の「競争」によって日本はずっとリバタリアンな社会になるとおもうかもしれない。

    地方政府が有能でかつ本気に税収の最大化を狙うと仮定しよう。 地方政府は税収を増やそうと思うならまず人々を集めないといけないが、 人々は基本的に(好みはいろいろなのであくまで基本的に)より課税の少ない所に行くだろう。 やがて競争によって課税の「価格」が決まっていき、 けっきょくどこの地方も最後には(今と比べればずっと)タックスヘイブンになる・・・

    だがこれを期待するのはさまざまな理由から難しい。

    この予想が当たるためにはまず少なくとも 自衛隊=実質中央政府が最初に小冊子で制限された状態にとどまっていないといけないだろう。

    しかしたとえばもし自衛隊が右翼的かつ国家主義的な連中に支配されていた場合、 移民も認めなくなるかもしれないし、外国に対して専守防衛以上のことをやるかもしれないし、 また各地方を制圧して再び日本を統一し、気づくとただの軍事国家になっているかもしれない。

    あるいはその前に東京や大阪・愛知などの大きな地方政府が警察力を増大させて軍備化し、 やがて「幕府」を名乗って諸国を統一していくかもしれない。そして最後には愛知幕府が自衛隊を上回る軍事力を備えているかもしれない。

    そういうわけで、善良な自衛隊とどこもタックスヘイブンの47都道府県だけが残って万々歳と簡単に予想することはできないはずである。

    そもそも地方政府が税収の最大化を狙うという仮定があやしい。 中の個人たちが収入を増やそうとするのは同じでも、 各政府は市場での交換によって儲ける私企業のようには機能しないだろう。 また合法で暴力的な強制力をもっている限り、 各知事は私企業の経営者のように健全に競争する 強いインセンティブをもたないはずである。 彼は他の地方政府と戦争しようとするインセンティブさえあり、 合法的にそれを遂行することができる。 (ただ政府がナチスのようになったり、他の政府と戦争を始めたりすれば人々は基本的に逃げ出すだろうし、自衛隊はそれを手助けする。)(つづく)


    06/02/02 地方分権は多くのリバタリアンの気に入るアイデアかもしれない。 とりあえず中央に自衛隊だけを残しておいて、 あとは完全に徴税権その他の権力を地方の47都道府県に移譲することを考えてみる。 政府の資産や債務はすべて地方政府に分割移譲される。

    道州制ではなく47都道府県としたのは、それが昔の幕藩体制に近く、いわゆるお国自慢や国体・駅伝・甲子園などの全国的スポーツ大会が都道府県対抗戦になっていて、そのほうがイメージがわきやすいとおもったからである。

    自衛隊は国民の都道府県間の自由な移動を保証し、 また外国からの移民もサポートする。 しかし外国の地方政府への侵略行為に対しては防衛・反撃する。

    なお皇室は残す。いぜんとして日本国は存在し、その国家元首は天皇である。 天皇の下に自衛隊=防衛庁が置かれ、宮内庁や外務省は防衛庁の一局として合併される。 日本国憲法は自衛隊と皇室の行為を規定しただけの小冊子である。 防衛庁は各地方政府への徴税権をもち、自衛隊はそのお金で運営される。

    他の中央省庁や政府機関は47都道府県庁に、 最高裁・高裁は47の地方裁判所に整理・統合される。 日銀は現在の本店1・支店32・事務所14で47に分割され、 それら都道府県の「中央銀行」は独自の通貨を発行する。 国会は解散し、議員は田舎に帰って地方議会に立候補する。

    地方政府は軍事力をもたず、各都道府県警の警察力を背景に徴税権をもつ。 地方政府は各地方議会で採択された「県法」によって制限される。

    このような日本ははたしてうまく機能するだろうか?(つづく)


    06/02/01 差別は悪いからなくそう、などと言う人は絶対リバタリアンではない。 リバタリアンはあらゆる差別を容認する。

    リバタリアンの考える人権というのはただ財産権であり、 主張するのはいつでもその保護だけである。 Non-Aggression Principle だけが重要であり、 けっしてサヨクによく見られるような主張はしない。 黒人の入店を拒否するメガネ屋があってもいい。 人間の多様な好みを擁護するのが真のリバタリアンである。

    人種差別にしろ性差別にしろ、差別の問題に政府が介入すると悪化する。 (日本固有の問題でいえば、被差別部落を政府が特権階級化していることが人々の差別意識を強化している。)差別は放っておくのがいちばんである。

    ○○差別・嫌○・反○といった、ある種の人々への偏見や差別意識というのはたいてい相手をよく知らない、 個人の見分けがつかないという情報の非対称性から生まれる。 情報の非対称性が相互の利益機会を消滅させるので、 この点で介入したくなるかもしれないが、 相互の利益機会がある限り人々はそれを追求するものであり、 問題は勝手に解決されるのである。

    (大事なのは個人個人のつながりである。情報を入手するコストが高いときは、 ある種の人々をステレオタイプでまとめて扱いがちであるが、 個人がまったく見えなくなっては損失を出すばかりだろう。)


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