アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

タバコ論 

06/01/14 L@JでPierre Lemieuxのタバコに関する文章が引用されていた。 後半部分は「百害あっても百利以上あるから吸う」と要約できる。 (ちなみにLemieuxはアナルコ・キャピタリスト。絶版だが日本語に翻訳された入門書があって、それはコンパクトで読みやすい。)

社会主義的な医療制度のもとでは、たしかに吸う人が吸わない人へ負担を押し付ける。 しかしこういう外部性は他のいろんな快楽行為にあてはまるので、 タバコだけ問題にするとスモーカーたちの反逆にあい、それはいろいろな悪者探し・差別合戦につながることになって、やがて世の中は抑圧された空気で満たされたファシズム的社会へと移行する。(各種の規制と課税が容認される。)

唯一問題となりうるのは、一般の空気が公共のものになっていることによる外部性だけである。歩きタバコはたしかに他人を危険にさらす。 しかしこの場合でも正しい公共政策というのは 「喫煙者のプラス」を考慮に入れたものでなければならない。 一般的に、外部性問題の解決は新しい外部性問題を生む。 (何かをきれいにするためには何かを汚さなくてはならない。) いつも新しく発生するデメリット(コスト)を考え、 外部性はけっしてただでは解決されないことをつねに念頭においておく必要がある。

(管理人の見立てによると、歩きタバコより歩道を飛ばす自転車の方が危険である。 あと外で歩きながら吸っている人が多くなったのはタバコを吸う場所がなくなったせいである。わずかに残された喫煙コーナーはどこでも異常に人が多く、とても不快な空間になっている。)

ところで公共の場所での喫煙について、人々はいつも法的規制やマナーのことを議論するが、これはとても社会主義的である。 法制化や社会的規範の変化を訴えるより、あらゆるもののプライベート化を訴えるのがリバタリアン・スタイルである。

たとえばレストランやバーでの喫煙者への対処の仕方は店が決めるのが当然だと考える人は多いだろう。 プライベートスペースでは、空気の所有者はその場所の所有者であるとするのが普通であり、それは合理的で効率的なことである。


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