アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

お金とは何か:フリーバンキング論イントロ2

06/08/18 竜安寺の石庭が一躍世界的に有名になったのは、1975年にエリザベス女王が訪れてそれを絶賛したことによる。竜安寺の石庭には多くの人が大きな価値を置く。 石庭には15の石がある。15というのは中国や日本で縁起のいい数である七五三の和である。数学では6や28を完全数というが、これもまた一種の完全数といえるだろう。(連続する3つの素数の和でもある。) 一方で石はどの場所からも15個すべてを見ることができないという哲学チックな配置となっている。

竜安寺の石庭は一揃いの全体として最高の意味や価値があるに違いないが、 個別の石をバラ売りにしても相当高い値がつくだろう。 月の石は400キロほどNASAにプライスレスな「国宝」として保管してあるそうだが、 もしオークションにかければものすごい値段がつくだろう。 いずれの場合でも文字通りの宝石だからだ。

原始人の使っていたお金として大きな丸い石を思い浮かべるかもしれない。 でもよく考えるとお金を使っていなかったから原始人なのである。 もっとも石の貨幣はミクロネシアのヤップ島で第2次大戦前まで使われていたし、 現在でも大きな石貨は婚礼など特別な契約の際に使われている。 これらは大昔に遠くの島から大変な思いをして運んでこられたもので、 その石の歴史や物語が価値となっている。 珍しい希少な石やそれを加工したものは通貨になりうる。 ただしこれは未開な狭いコミュニティの特殊ケースである。

少し進んだ経済で通貨になるためにはそれ相応の存在量が必要になる。 古代の中国では貝(タカラ貝)が通貨だった。 (経済関連の本は貝がつく漢字ばかり並んでいる。) インドなどでは近代まで貝が使われていた。 実際タカラ貝は世界通貨だった。

紀元前の時点ですでに金銀銅の鋳造貨幣が当時の先進国で広まっていた。 物々交換と鋳造貨幣の間にはいろいろな歴史があっただろうが、 より便利なものが取って代わっていくというのは自然なことである。 (紙幣の始まりは鋳造貨幣の預かり所のレシートである。)

「政府は国防をやってあとは金をばらまいておけばよい」と言う人がたまにいる。 彼は安全な庭で水をまいて植物を育てるというイメージをもっているのかもしれない。 リバタリアニズムについて特に勉強したことがないのであれば筋はいいが、 でもやはり間違っている。 それどころか国防とお金は自由のための最も本質的で重要な問題である。

前置きが長くなったが、自由社会のお金について考えるときは 必ず物々交換の話から始めなければならない。 そして人類の長い歴史では貨幣は(起源を含め)かなりのケースで私的に製造され、 中央銀行などはつい最近まで存在しなかったということをよく知らなければならない。


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