アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

The Machinery of Freedom (本紹介)


The Machinery of Freedom はアナルコ・キャピタリズムの「唯一の生きている提唱者」David D. Friedman が26歳のときに書き、 1冊の著書としては最も多くの人をアナルコ・キャピタリストにしたであろう本です。

読みやすく知性とユーモアにあふれそして背後には緻密な経済分析という この特別な政治思想書のうち、管理人が特に重要だと思う箇所/好きな箇所を以下に抜粋・翻訳しました。 このハイライトを楽しむだけでも David D. Friedman の方法や考え方、立場がかなりつかめると思います。 ネットでもいくつかの章が読めます。


... The direct use of physical force is so poor a solution to the problem of limited resources that it is commonly employed only by small children and great nations. ... [p4]

訳:  限られた資源を配分する問題で、 直接物理的な力を使うのは 非常に劣った方法である。 そこでそれは一般的に 小さい子供と大きい国家だけに採用される。


... Under institutions of public property, property is held (the use of things is controlled) by political institutions and that property is used to achieve the ends of those political institutions. Since the function of politics is to reduce the diversity of individual ends to a set of 'common ends' (the ends of the majority, the dictator, the party in power, or whatever person or group is in effective control of the political institutions), public property imposes those 'common ends' on the individual. ... [p5]

訳:  (私有財産制度とは違って)公有財産制度のもとでは、 財産は政治そのものに支配され、 その目的を達成するために使われる。 だが 政治とは、個人の目的の多様性を無理矢理 ある「共通の目的」のセットに押し込むことである。 (個人の目的を、多数派や政権党の目的、 あるいは政治権力をもつ個人や団体の目的に 押し込む。) したがって 公有財産制度とは、「共通の目的」を 個人に押し付けるということなのである。


... In a private-property society, if I work hard, the main effect is that I am richer. If I choose to work only ten hours a week and to live on a correspondingly low income, I am the one who pays the cost. Under institutions of public property, I, by refusing to produce as much as I might, decrease the total wealth available to the society. Another member of that society can claim, correctly, that my laziness sabotages society's goals, that I am taking food from the mouths of hungry children. ... [p10]

訳:  私有財産制度のもとでは、 わたしが一生懸命働くことの主な効果は、わたしがより裕福になることである。 もしわたしが週に10時間しか働かず、 そしてそれに応じた低い所得で生活することを選べば、 そのコストを払うのはわたし自身である。 いっぽう公有財産制度のもとでは、 もしわたしが生産することを拒むと、 社会全体の富を減らすことになる。 「おまえの怠惰は社会の目標達成を妨害している」 「きさまは腹のすいた子供の口から食べ物を奪いとっている」 と社会の他のメンバーが 非難するのは無理のないことである。


... If almost everyone is in favor of feeding the hungry, the politician may find it in his interest to do so. But, under those circumstances, the politician is unnecessary: some kind soul will give the hungry man a meal anyway. If the great majority is against the hungry man, some kind soul among the minority still may feed him -- the politician will not. ... [p17]

訳:  もし飢えた人に食事を与えることについてほとんどの人が賛成ならば、 政治家はそうすることが自分の利益になることを発見するだろう。 しかし、そのような状況では政治家は不要である。 優しい心の持ち主がいずれその人に食事を与えるからだ。 もし飢えた人に食事を与えることについてほとんどの人が反対ならば、 それでも残りの人たちのなかの優しい心の持ち主がその人に食事を与えるだろう -- 政治家はけっしてそれをしないだろうが。


... 'Democratic' decision making is a means for finding and implementing the will of the majority; it has no other function. It serves, not to encourage diversity, but to prevent it. ... [p65]

訳: 「民主的な」決定は、多数派の意思を見つけ実行するための方法である。 他には何の機能もない。それは 多様性を後押しするためでなく妨害するために役立つ。


... Special interest politics is a simple game. A hundred people sit in a circle, each with his pocket full of pennies. A politician walks around the outside of the circle, taking a penny from each person. No one minds; who cares about a penny? When he has gotten all the way around the circle, the politician throws fifty cents down in front of one person, who is overjoyed at the unexpected windfall. The process is repeated, ending with a different person. After a hundred rounds everyone is a hundred cents poorer, fifty cents richer, and happy. ... [p107]

訳: 利益政治は単純なゲームである。100人が輪になって座っている。 それぞれはポケットにいっぱいのペニー(1セント硬貨)をもっている。 政治家はそれぞれの個人から1ペニーを奪いながら、輪の外側を回る。 誰も気にとめない。誰が1ペニーを気にするのだ? 政治家は輪の外側をはるばる1周する。 そして最後に50セントを誰か1人の目の前に放り投げる。 彼は思いがけない授かりものに狂喜する。 このプロセスが100回繰り返される。 (ただし毎回別々の人が50セントを受け取る。) 100人は皆100セントずつ貧しくなっている。 そして50セントずつ豊かになり、幸せになっているのだ。


... Government is an agency of legitimized coercion. The special characteristic that distinguishes governments from other agencies of coercion (such as ordinary criminal gangs) is that most people accept government coercion as normal and proper. The same act that is regarded as coercive when done by a private individual seems legitimate if done by an agent of the government.

If I yell 'Stop, thief!' at a stickup man escaping with my wallet, the bystanders may or may not help, but they will at least recognize the reasonableness of my act. If I yell 'Stop, thief!' at an employee of the Internal Revenue Service, leaving my house after informing me that he has just frozen my bank account, my neighbors will think I'm crazy. Objectively, the IRS is engaged in the same act as the thief. It seizes my resources without my permission. True, it claims to provide me with services in exchange for my taxes, but it insists on collecting the taxes whether or not I want the services. It is, perhaps, a fine point whether that is robbery or extortion. In either case, if it were the act of a private party, everyone would agree that it was a crime. ... [p112]

訳:  政府とは合法化された強制力をもつ機関のことである。 他の強制力をもつ機関(ギャングなど普通の犯罪組織)と政府を区別する特徴は、 たいていの人が政府の強制を正常で適切なものとして受け入れるということだ。 私的な個人が行なえば強要と見なされる行為も、 政府の代理人が行なえば正当なものだと見なされるのである。

もしわたしが、自分の財布をもって逃げる強盗に向かって、「止まれ、泥棒!」と 叫べば、周りにいる人たちは助けてくれるかもしれないし、 助けてくれないかもしれない。だがすくなくともわたしの行為が無理のないものとは おもってくれるだろう。 もしわたしが、 自分の銀行口座の凍結を伝えて家を後にするIRS(国内歳入庁)の職員に向かって、「止まれ、泥棒!」と 叫べば、近所の人たちはわたしのことを気が狂ったとおもうだろう。 客観的にいって、IRSは泥棒と同じ行為をしているのだ。 IRSはわたしの許可なしにわたしの資源を取り上げている。 IRSがわたしの税金と引き換えに、わたしにサービスを提供していると主張するのは 正しい。だがIRSは、 わたしがそのサービスを欲しいか欲しくないか ということにかかわらず、 税金をとることを強要しているのだ。 それを強盗というかどうかは微妙なところである。 だがいずれにせよ、 もしそれが私的な集団の行為であれば、 それは犯罪であると誰もが同意するだろう。


... Imagine buying cars the way we buy governments. Ten thousand people would get together and agree to vote, each for the car he preferred. Whichever car won, each of the ten thousand would have to buy it. It would not pay any of us to make any serious effort to find out which car was best; whatever I decide, my car is being picked for me by the other members of the group. Under such institutions, the quality of cars would quickly decline. ... [p132]

訳: 政府を購入するのと同じ方法で われわれは車を購入すると想像してみよう。 1万人の人が集まり、自分の好きな車に一票ずつ入れることに合意する。 どの車が勝とうと、1万人は皆その車を買わなくてはならない。 われわれすべての人間にとって、 どの車が最善だろうかと頭を悩ませることは 割に合わない。 なぜなら、わたしがどういう決定をしようと、 わたしの車は集団の他のメンバーたちによって 決定されるからだ。 そのような制度のもとでは、 車の品質はすぐに下がってしまうだろう。


... The logic of limited government is to grow. There are obvious reasons for that in the nature of government, and plenty of evidence. Constitutions provide, at the most, a modest and temporary restraint. As Murray Rothbard is supposed to have said, the idea of a limited government that stays limited is truly utopian. Anarchy at least might work; limited government has been tried. ... [p147]

訳: 制限された政府の論理はどんどん大きくなっていく。 そうなる理由ははっきりと政府の本質の中にあるし、また(政府が肥大化していくという)実際的な証拠もたくさんある。憲法による制限はどんなによくても 控えめでその場しのぎのものになる。 マレー・ロスバードが言っていたと思うが、制限された政府が制限された状態にとどまるという考えはユートピアンである。 アナーキーは少なくとも可能性がある。 制限された政府は可能性がない(試されたが失敗している)。


... I believe that anarchist institutions, if they can be established and maintained, will be better than any government, even one initially limited and constitutional. I am willing to accept a slightly less than optimal production of a few public goods in exchange for the security of there being no government to expand into 95 percent of human affairs where it can do nothing but damage. The ultimate objective of my political actions is not limited government: it is anarchy. ... [p148]

訳: もし無政府資本主義社会が安定した制度として維持できるなら、 それはどんな形態の国家よりも――最初どんなに制限された立憲国家よりも――よいものだろうとわたしは信じる。少数の公共財がちょっとずつ最適生産に届かないのは構わないとわたしは思う。 もし人々が行なうことの95%にまで踏み込んでそのうえダメージを与えるだけの 政府が存在しないという保証があるなら。わたしの究極的な政治目標は制限された政府ではない。アナーキーである。


... We are a long way from the objective of a severely limited government and a longer way still from anarchy. Even if anarcho-capitalism is ideally a better system, is it not wise to focus on the more immediate goal of reducing the government and put off to the future any discussion of abolishing it?

I think not. It is important to know what road we must take, but it is also important to know where we want to go. In order to understand our position ourselves and explain it to others we must know what we ultimately want, not just what compromises we may be forced to accept.

I suspect that one reason for the enormous success of the socialiat ideas of fifty and a hundred year ago -- ideas which in many cases are the orthodoxy of today -- was the willingness of socialists to be utopian. Their politics were Fabian, but their polemic was not. Their vision of an ultimate perfection was one of the most effective weapons in the practical struggle. ... [p148]

訳: われわれは厳しく制限された政府論の目標からは程遠いところにいるし、 アナーキーからはなお遠いところにいる。 仮にアナルコ・キャピタリズムが理想的にはよりよいシステムだとしよう。 そのとき、政府を縮小するというより近いゴールを目指し、政府を廃止するという議論はどんなものも先延ばしにすることは賢いことだろうか?

そうは思わない。行くべき道を知ることは重要だが、どこに行きたいか知ることも重要である。自分の立っている場所を理解し、それを他人に説明するには、自分が究極的にどこに行きたいかを知らなければいけない。受け入れざるをえない妥協点を知るだけではだめである。

150年前の社会主義者たちの思想が大成功し、 多くの場合今日の定説になっている理由の一つは、 社会主義者たちがユートピアンであることをいとわなかったから だろうとわたしは考えている。 彼らは政治的にはフェビアン(漸進主義)だったが言論ではそうではなかった。 彼らの究極的かつ理想的なビジョンは、実際的な闘争において最も効果的な武器の一つになったのである。


... If I argued against heroin laws on the grounds that they violate the addicts' rights, I will convince only other libertarians. If I argue that drug laws, by making drugs enormously more expensive, are the chief cause of drug-related crime, and that the poor quality control typical of an illegal market is the main source of drug-related deaths, I may convince even people who do not believe that drug addicts have rights. ... [p181]

訳: もしわたしが、麻薬中毒者の権利を侵害する という理由でヘロイン禁止法に反対しても、 他のリバタリアンしか納得させられないだろう。 しかしもしわたしが、<ドラッグ禁止法は それ自体がドラッグの価格を高騰させるために 麻薬関連犯罪の主原因になっている>ことを説明し、 また<非合法マーケットによく見られる劣悪な品質管理が 麻薬関連の死亡の主原因になっている>ことを説明すれば、 麻薬中毒者が権利をもつとは信じない人たちさえも 納得させることができるかもしれない。


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