アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

思考実験:地方分権を考える(5days)

06/02/02 地方分権は多くのリバタリアンの気に入るアイデアかもしれない。 とりあえず中央に自衛隊だけを残しておいて、 あとは完全に徴税権その他の権力を地方の47都道府県に移譲することを考えてみる。 政府の資産や債務はすべて地方政府に分割移譲される。

道州制ではなく47都道府県としたのは、それが昔の幕藩体制に近く、いわゆるお国自慢や国体・駅伝・甲子園などの全国的スポーツ大会が都道府県対抗戦になっていて、そのほうがイメージがわきやすいとおもったからである。

自衛隊は国民の都道府県間の自由な移動を保証し、 また外国からの移民もサポートする。 しかし外国の地方政府への侵略行為に対しては防衛・反撃する。

なお皇室は残す。いぜんとして日本国は存在し、その国家元首は天皇である。 天皇の下に自衛隊=防衛庁が置かれ、宮内庁や外務省は防衛庁の一局として合併される。 日本国憲法は自衛隊と皇室の行為を規定しただけの小冊子である。 防衛庁は各地方政府への徴税権をもち、自衛隊はそのお金で運営される。

他の中央省庁や政府機関は47都道府県庁に、 最高裁・高裁は47の地方裁判所に整理・統合される。 日銀は現在の本店1・支店32・事務所14で47に分割され、 それら都道府県の「中央銀行」は独自の通貨を発行する。 国会は解散し、議員は田舎に帰って地方議会に立候補する。

地方政府は軍事力をもたず、各都道府県警の警察力を背景に徴税権をもつ。 地方政府は各地方議会で採択された「県法」によって制限される。

このような日本ははたしてうまく機能するだろうか?(つづく)


06/02/03 (06/02/02からの続き)

徴税権その他の権力を完全に地方政府に移譲すると、 めちゃくちゃな課税や規制をする所からは人々が逃げていくはずなので、 地方政府間の「競争」によって日本はずっとリバタリアンな社会になるとおもうかもしれない。

地方政府が有能でかつ本気に税収の最大化を狙うと仮定しよう。 地方政府は税収を増やそうと思うならまず人々を集めないといけないが、 人々は基本的に(好みはいろいろなのであくまで基本的に)より課税の少ない所に行くだろう。 やがて競争によって課税の「価格」が決まっていき、 けっきょくどこの地方も最後には(今と比べればずっと)タックスヘイブンになる・・・

だがこれを期待するのはさまざまな理由から難しい。

この予想が当たるためにはまず少なくとも 自衛隊=実質中央政府が最初に小冊子で制限された状態にとどまっていないといけないだろう。

しかしたとえばもし自衛隊が右翼的かつ国家主義的な連中に支配されていた場合、 移民も認めなくなるかもしれないし、外国に対して専守防衛以上のことをやるかもしれないし、 また各地方を制圧して再び日本を統一し、気づくとただの軍事国家になっているかもしれない。

あるいはその前に東京や大阪・愛知などの大きな地方政府が警察力を増大させて軍備化し、 やがて「幕府」を名乗って諸国を統一していくかもしれない。そして最後には愛知幕府が自衛隊を上回る軍事力を備えているかもしれない。

そういうわけで、善良な自衛隊とどこもタックスヘイブンの47都道府県だけが残って万々歳と簡単に予想することはできないはずである。

そもそも地方政府が税収の最大化を狙うという仮定があやしい。 中の個人たちが収入を増やそうとするのは同じでも、 各政府は市場での交換によって儲ける私企業のようには機能しないだろう。 また合法で暴力的な強制力をもっている限り、 各知事は私企業の経営者のように健全に競争する 強いインセンティブをもたないはずである。 彼は他の地方政府と戦争しようとするインセンティブさえあり、 合法的にそれを遂行することができる。 (ただ政府がナチスのようになったり、他の政府と戦争を始めたりすれば人々は基本的に逃げ出すだろうし、自衛隊はそれを手助けする。)(つづく)


06/02/04 (06/02/03からの続き)

地方分権の最初の仮定を変えて、自衛隊を各地方自治体に人口で比例配分して始めるとする。天皇家は千代田区に居住するただの一家族になる。 しかしこれでも47の都道府県からなる安定したリバタリアン社会を想像するのは難しい。

いきなり近代兵器で戦う戦国時代になるだけかもしれないし、 あるいは周辺諸国とアメリカを巻き込んだ世界大戦が始まるだけかもしれない。 共産党の強い京都などはさっそく共産主義国家になる可能性があるし、 そのときはその豊富な観光資源と多くの先進的な企業は国有化され、 やがては衰退して崩壊するだろう。(もっとも京都には御所がある。昔の天皇の末裔を新天皇として擁立したりして、最初は手ごわい国家になるかもしれない。)

けっきょく、国防機能+αだけを残したほぼ完全な地方分権国家にしても、 多くの小国からなる極東の島にしても、行き着くところは現在あるような中央集権国家かもしれないということである。(もちろん自衛隊や各地方政府が条約を結んで平和な日本が形成されるという可能性もある。)

地方分権はアナルコ・キャピタリストを含むすべてのリバタリアンにとって よい思考実験であり、とても議論の余地がある。 地方分権の最初の仮定をさらに変えることで、今よりずっとリバタリアンな日本を 確実で安定な均衡として予想することは可能かもしれない。

なお多数の中央集権国家からなる社会は無政府資本主義社会ではない。 管理人のイメージする無政府資本主義社会は政府と領土で分割された社会ではなく、 (内部に収奪システムをもたない)エージェンシーで分割された社会である。 アナロジー的にはプロバイダーで分割されたインターネットがそれに近い。

どんなに分散化されていても政府は政府である。それは合法化された強制力をもつ泥棒であり、匿名の収奪システムでしかない。やはり無政府資本主義だけが正しいのである。


06/02/05 (06/02/03への補足)

仮に自衛隊(中央政府)が最初に制限された状態にとどまっていたとしても、 地方政府間で期待通りに税の競争が起こらないだろうという理由を 少し詳しく述べておくことにする。

ひとつは繰り返し囚人のジレンマである。 山梨県知事と静岡県知事が料亭で話している。 「おたくのところ最近税金下げすぎじゃないかね」 「いえいえそちらこそ」。二人は結託する。

47という全体のプレーヤー数はけっして多くないし、 ある地方政府にとってより重要なライバルになるのは近隣の地方政府だろうから、 実際各プレーヤーが意識する相手というのはそれぞれ限られた数になるだろう。 また隣り合う地方政府間では、自政府の行動に関する情報は隠しておきにくいし、すぐに相手に知れてしまうはずである。 (そもそも減税にせよ規制緩和にせよ、政府の行動はその定義・性質上たいていパブリックなものであるはずなので、各プレーヤーの行動はつつぬけて当然である。) また政府は市場の個人や企業ほど近視眼的ではない。相手の政府が突然消えたりすることはまずないだろうし、ゲームの継続率は1に近い。

このように「少数プレーヤー」「完全モニタリング」「多数ラウンド」「低割引率」 といった繰り返し囚人のジレンマで協調が発生する要件がことごとくそろっている。 つまりカルテルは成功しやすい。

もうひとつはロックイン効果である。 京都に初めて行く人は、まず巨大で未来的な京都駅に驚き、 そのあと想像に反して近代的な街並みを見ながら有名なお寺などを回るだろうが、 それらを除いて町を眺めるととても山紫水明に恵まれた土地であることに気づくはずである。そしてなるほど、どうりでここに平安京が建設されたんだなとおもう。 京都人はなかなか京都を離れようとは思わないだろう。

同じことが47の都道府県にあてはまる。 言語という重要なロックインはないにしても、 土地固有の資源に起因する郷土への愛着心がそうとう移動のコストを高める。


06/02/11 先ごろ地方分権の思考実験について大ざっぱに書いたが、 これをさらに詳細に考えるにはL@Jの所有権ガバナンスに関するエントリーが参考になる。

要点は

  • 個人の所有権≒財産権はインセンティブと極めて密接な関係にある
  • いくら細かく分けたところで政府は企業のようには運営されない
    ということだ。

    地方政府を株式会社化することを考えよう。 各都道府県株式会社は、個人の生命・財産を保護するための財・サービスを売ることを主な目的として 市場で競争する。 利益を上げるためにはよい法律と警察(と軍隊)を効率的に生産して 消費者を集めなければならない。 また株主は自分の所有するもの(形式上は株券)のためにそうするよう経営陣に圧力をかける。 (都道府県株式会社は無政府資本主義でいうところのエージェンシーであり、 このような社会は無政府資本主義社会のひとつのイメージになる。)

    政府の場合、議会が期待通りに省庁に圧力をかけることはない。 少数に有利な法律だけが生産され、各省庁は予算の確保だけを考える。 すべての参加者に不正なインセンティブがある。

    おおまかにいえば

  • 企業=株式を通して個人に所有される。参加者に正しいインセンティブだけがある(効率的)
  • 政府=定義上誰にも所有されない。参加者に不正なインセンティブだけがある(非効率的)
    ということである。企業(資本主義)は政府(民主主義)より優れている。

    (補足: 究極の地方分権、つまり国民一人一人にまで分権すれば それは完全個人主義・無政府資本主義になり理想的である。 また天皇制無政府資本主義は十分可能である。 この場合皇室は独立採算であり、元の資産の利子と個人や企業からの寄付で成り立つが、 政府がある場合のように不安定で利用される立場にはならないだろう。)


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